親日の台湾と反日の韓国

こんにちは紺野昌彦です。

現在はタイのバンコクの自宅に滞在しています。今のタイは1年で一番暑い季節で日中は37、8度ほどまで気温が上がります。6月になれば雨期も本格的となり気温は32、3度まで落ち着くのですが。。

日本はちょうど今月に年号が平成から令和に変わり、新しい天皇陛下が即位しました。

ちょうど時期を同じくしてタイの新国王のワチラロンコン国王が、先のプミポン前国王の喪が明け、戴冠式を5月4日に迎えました。

さてそんなバンコクの街を歩いていると、欧米人もさることながら、中国人も台湾人も韓国人など多くのアジア系外国人が目に付きます。初めてタイに来た30年ほど前には無かった状況でしょう。当時は同じアジア圏の観光客と言えば偉ぶる香港人を見かけたのを思い出します。

当時と比べるとアジア全体で、それぞれの国の所得も格段に高くなり、またLCCなどの普及で安価に気楽に海外旅行ができるようになったのも、どこに行っても複数の国々の人々が行き交う環境になって来たのでしょう。

日本へのインバウンドが大幅に増加したのもこのような背景があってからこそなのです。

今のような環境だからこそ、以前よりも他国に関しての興味や、歴史的背景をこれまで以上に振り返る機会と思い時折様々な文献に目を通しています。

僕は台湾にもちょくちょく足を運ぶのですが、それもあって台湾の親日度合いや知日派の数は肌感覚で理解しています。

もちろんメディア等での報道でも日本が震災に見舞われた際にも、台湾、台湾人から多くの支援がなされたのも記憶に新しいことでした。

台湾ではいまでも、過去の日本統治時代の遺産を大切にしていたりと、負の部分だけではなく、歴史的な経緯を尊重し、前向きに捉えている印象が強くあります。

 

同じくお隣の国の韓国ですが、絶えず日本との争いがある印象は否めなく、歴史的背景も去ることながら、現在でも領土問題や軍事的なことなど、多岐に渡る問題が横たわっているのが実状でしょう。

この反面、日本への対日インバウンド数で中国に次いで、2位にランクインしているのもお隣の国でもある韓国なのです。

 

大きく違う歴史的な背景

日本の領土へ併合という歴史的な背景と経緯は、韓国も台湾も持っています。

ただ韓国と台湾は併合以前の歴史的背景が大きく異なるのを、先ずは理解することが重要なのかもしれません。

 

韓国の場合は、ご存じのとおり直近まで李氏朝鮮という王朝が1392年から1910年に君臨していました。

それ以前は高麗が918年から1392年。この間に一部の時代が中国の大元帝国に属国化されている時代もありましたが、基本は主権独立国家として独自の王朝として君臨してきた背景があり、大陸中国の大帝国の従属を迫る圧力と、北の女真族系の金や清からの圧力と抗争し独立王朝を維持を努力する歴史を経験しています。

要するに他国(大元帝国)に従属した期間はあっても、朝鮮半島の王朝は併合された歴史的背景を持ち合わさないのがひとつの特徴なのかもしれません。

よって隣国の支配や圧力に闘争的かつ排他的な土壌があるのです。これがこの国のアイデンティティが形成された背景を考えています。かなりざっとですが。詳しくは別の機会に書いてみます。

 

これに対して台湾ですが、現在ではなく戦前以前に独立国家としての王朝があった時期はほとんど存在しません。強いて言えば、南宋時に元に追われて台湾に逃げた際に、鄭氏が樹立した政権がありますが1661年から1683年。主にこの程度。

日本が進駐した頃にもどさくさに紛れて、台湾で新王朝として即位した例もありますが数日だけなので数に含まないでおきましょう。

ちなみにこの鄭氏は母親が日本人という定説もあり、今でも台湾の歴史では建国の父的な存在であります。

またこの当時の台湾は中国大陸から逃げた漢人が20万人弱でもあり、王朝と呼ぶにも大した数ではなかったでしょう。そして清朝が明朝を滅ぼす際にまた台湾へ避難者が出て、そして第二次世界大戦後に中国大陸は国民党と共産党の内戦、いわゆる国共戦争が始まりそれに敗退した国民党の一党が軍属含めて150万人から200万人が大陸から台湾に避難して現在の台湾の状況を作り上げている歴史的背景がありました。

もちろんこの他にも台湾には先住民族が16民族が存在しましたが、統一政権を作る行為は歴史的にはありませんでした。

 

要するにひとつの統一国家、統一王朝という伝統的なアイデンティティを形成する土壌が韓国ほどなかった背景があり、この差が日本の併合に対するそれぞれの国、地域の国民の受け入れ感情や、日本の統治政策に影響してきたのかもしれません。

台湾に関しては、清王朝にしても統治及ばざる地域としていましたし、当時の大陸政権が開墾や開発に本格的に介入した経緯もそこまで高くなかったのでしょう。その証拠に16民族で統一言語が用いられた歴史的経緯も存在しません。

そんな経緯からか朝鮮半年に関しては占領政策。台湾に関しては同化政策と、同じ日本の併合でも異なった占領政策が取られたのかもしれませんね。

 

世界中でインバウンドが行き交う今のご時世ですので、より隣国の形成されて来た歴史や、持ち合わすアイデンティティなど改めて考えるにはいい時期なのかもしれません。

 

また日本と言う国のアイデンティティの形成や、考え方の形成なども今後多くの外国人を招く側としても再理解は不可欠でしょう。

次のように書けば、感情的に反論される方もいらっしゃるかしれませんが、歴史的に見て明治以前の公文書で漢文も多く用いられて来たのも事実ですし、古の日本の官爵も中国のそれを真似たものも事実です。

征夷大将軍も蝦夷討伐の官職ですが、中国の征西大将軍などと朝廷に属しない地域の討伐に与えた官職の故事を用いてですからね。

日本で飛鳥時代、702年初めて作られた戸籍にも渡来系の人々が3割も4割も占めていたのも、歴史的に通例とされつつありますし、中国からしたら日本は亜種的な文明との見方も出来ますし、朝鮮半島の人々からしても、文明から遠い、遠方の島国、蛮地の日本としていたのかもしれません。

日本の歴史でも、京の都に近いほど高度な雅た文明であり、官職の赴任地も遠いほど僻地扱いで格が低い身分の公家、武家であり屯田扱い、強いては流刑に近いほどでしたからね。

もちろんそんな僻地で花開く文化もありましたので、必ずしもではありませんが、京の都の公家や多くの雅た人々、都会人はそうは見ていなかったでしょう。

日本の伝統、文化でも山を越えるだけでそんなものですから。。今流行っている映画「飛んで埼玉」のように日本の文化は僻地の村をバカにしますからね。

このように都に近ければ近いほど、立場が上の時代が相当長くアジア圏には続いていました。

アジア圏では、日本の明治維新以降、日本国が清朝を打ち、ロシア帝国に勝ち、この辺りから日本だけ少し変わって来たのかしれません。ですが隣国の意識はそのままだったりも。

明治までは日本は東の果の国でした。

日本は第二次世界大戦で敗戦し米国よりの西側国家群に組み込まれてからは、米国の西の果となりました。

雅ているのはアメリカのある東であり、中国、韓国より日本は東にありますからね。

ふとした歴史的な過程から、東の果と西の果が入れ替わったのでしょうね。そんな感情は抜きにして、もっとフラットでありたいですね。

もう少し歴史を紐解いて行きたいと思います。

紺野昌彦

紺野昌彦

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