巨星落つ。国場幸一郎さんについて

巨星落つ。

沖縄経済と観光を牽引されてきた國場幸一郎さんが2019年4月11日にご逝去されました。享年86歳。僕には師匠とよべる方は、この國場幸一郎さんただ一人。

6年前に倒れられた時まで、約4年間でしたが、國場幸一郎國場組前会長に大変お世話になっておりました。(以降、国場と表記します)

前回お見舞いにお邪魔したのは今年の1月。少しご無沙汰していたお見舞いで、新年のうちにご挨拶に足を運べて一安心していました。

僕は4月10日まで仕事の外遊でタイ、中国、香港と回っていたのですが、10日に日本の拠点でもある沖縄に戻りました。

その翌朝に、メディアの友人から事実関係の確認のメッセージが入っていました。そして即、国場前会長の奥様からお亡くなりになったとの知らせが入り、事実を知りました。

僕が今のような大きな事業や案件に携わるようになったのは、10年ほど前から4年間ほど国場幸一郎さんの薫陶あってからの事なのです。

国場幸一郎さんは、沖縄で最大級のゼネコンでもある國場組の前会長であり、ムーンビーチリゾート、ブセナテラス、ナハテラスなどの沖縄を代表するリゾートを自社開発しただけではなく、沖縄の代表するリゾート開発も多く手がけて来ました。また戦後の沖縄のインフラの多くを手がけ、沖縄電力の創設や、通所事業でも沖縄セルラーを京セラの稲盛さんと設立したり、と戦後の沖縄を作り上げた巨人なのです。

また国場幸一郎さんは、戦後アメリカ統治下の沖縄で、直ぐに英語での建設や施工のノウハウを得た事により、米軍基地関係の受注だけではなく、中東の石油パイプラインの受注やリビアでの石油関係の施工なども指名で受注する実績もありました。

巨星落つの言葉にまさに相応しい大人物、それが国場幸一郎さんなのです。

国場幸一郎氏と

國場幸一郎

このブログを書いている今も沖縄では訃報のニュースが流れています。

国場幸一郎さんが6年と4ヶ月前に倒れられる前の約4年間、秘書的なお仕事でお手伝いさせて頂いており、国場幸一郎会長がガバナンスを持つ法人の役員も務めさせて頂いておりました。

僕もスモールビジネスでは既にいろいろとやっていましたが、大きな開発計画や、海外での一定規模のビジネスなどの経験に深くコミットしたのはこの頃から。

始めて僕がミャンマーに足を運んだのも、ミャンマーが民主化して直ぐに「お前行ってこい」と不動産やリゾート案件の視察に行かせて頂いたり、中国で不動産の展示即売会に分譲地の販売に出店させて頂いたりと海外へのそれなり以上の規模のビジネスのきっかけもこの国場幸一郎からのオファーがスタートでした。

また財界の大物や、知事や政治家との面談などにもよくお供もさせて頂いていたり、会長室にひっきりなしに財界や政界の方々が来られていた際に同席で対応させて頂いたりしたのも、昨日のように今でも覚えています。

会長の持つクルーザーで何度もクルーズに出たり、会長のリムジンでよく送りむかえ頂いたり、様々な経験談をたくさん聞かせて頂いたり、我が子並みに国場幸一郎さんには大変お世話になりました。

書き出したいエピソードもこのように書ききれないくらい多いのです。

その巨人の訃報に偶然にも居合わせることもでき、奥様からもお声掛けも頂き、親族でもない僕に納棺までお手伝いさせて頂き、浅からぬご縁と因果を深く考えさせられる1日でした。

國場幸一郎氏

思うがままに今もこの文章を書いていますが、80歳で倒れられるまではかなりお元気で、生涯現役を絶えず口にしておりました。またこれだけの実績を持ちながら偉ぶる事もなく、年齢を感じさせない柔軟で独創的な考え方を持ち、今の日本にそして沖縄に何が必要なのか、どうあるべきかを日々考えておられたのが、今でも印象的で、もっともっと国場幸一郎さんから多くの事を聞き、そして学ぶべきであったと悔やむばかりです。

國場幸一郎氏

國場幸一郎氏

國場幸一郎氏

國場幸一郎氏

國場幸一郎会長の講演会

父親以上に父みたいな存在の國場幸一郎さんに敬意と感謝と共に心よりご冥福をお祈り致します。
紺野昌彦

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