僕が会社組織を不要とした日
こんにちは紺野昌彦です。
何度かブログに書いて来ましたが、僕はこれまでに生業として多くの事業を立ち上げて来ました。
中には現在も継続している事業もあれば、他人に譲渡したものあります。
また上場企業にバイアウトした会社もあります。
もちろん上手く行かずに廃業したものもあります。
自営業始めたのは17歳。若かりし日に輸入雑貨屋やダイニングカフェ、セレクトショップに始まり、宿泊施設、貿易業、アミューズメント、コンサル会社、不動産業、海外進出サポート、ディベロッパーなどかなりの業態にトライしてきました。
僕の性格上、深く興味を持ってしまうと色々と調べ上げて、何かとトライする繰り返しのような人生でした。検証と実行という行為が好きなのです。もちろん国内、国外問わずです。
中でも一番大きく成長した事業は、2014年にバイアウトした事業ですが、創業4年程で年商で11億円強くらいの数字に成長した法人組織でした。
一番成長していた時には総従業数が50名を超える状態。もちろんこの11億円強の僕が創業者で代表を務める事業体だけではなく、同時平行に個人という資質で他にも複数の事業を行っていた、その雇用合計の人数ではあったのですが、今思えば雇用数イコールが人生で最も多忙な時期でもあったように思えます。
会社の社会的な目的は雇用を発生させ、納税し、より多くの人々の生業になることでもあります。
そして事業や多くの人々の生活を安定させることでもあります。
それが企業の社会貢献でしょう。
僕の会社の事業所は東南アジアの数カ国にあった事もありますが、それぞれの国での外国人の現地採用も雇用総数の半数以上を占めていました。
彼らにはそれぞれの国の相場の給与レートよりも30%増しから、倍の対価で雇用していたのです。
当然それでも十分に支払える額でもありましたし、仮に倍額を支払ったとしても日本人の正規の給与よりも、安価であったこと。そして仕事の内容は日本人と大差がない。場合によってはその国の多く事は彼らに依存しなくては行けないという背景も、そのような給与形態にしたいという僕自身の思いもありました。
雇用を成り立たす。これは本来企業の存在理由が様々ある中、大切なファクターのひとつでしょう。
もちろん僕もそのような理念を持ち合わせていたのですが、今では僕個人が行う事業では直接雇用は皆無に等しくなっています。
大きく理念も変わってしまったかのように。
これには実際に起業して雇用を産み、そしてその数が大きくならないと理解できないものなのかもしれませんが、雇用イコール大きな責任と多大な支出、それを維持する、または更に拡大しつづけるという責務が経営者に発生するのです。当たり前なのですが。
これまでは優秀なスタッフに恵まれて来たのもあり、複数傘下に存在した連結子会社は、それぞれの法人の担当者で十分に収益を上げる事も出来ていました。
その結果が4年間で年商で11億円も商えたわけでもあるのですが、当然そこには多大な労力と精神力を割かなくては行けなかったわけなのです。
僕は元々はストイックなほどに、仕事が大好き人間でもあり、多忙にスケジュールが重なり、いつも予定がパツパツになることを喜びとしていましたが、結果としていつの日かプライベートは存在しない程になっていました。
完全版なオフは2ヶ月に1日か2日程度。
それでも年間に自由なるお金は4000万円程度。
稼いでいるアフィリエイターさんの方が、当時の僕の年収より格段に高いでしょう。
ですが多くの雇用を生み出し、企業組織という事もありましたので、社会的な地位は個という資質の事業者よりも格段に上がっている事が、年収という概念を上回る充実感もでもありました。
例えば国や行政からの委員の就任依頼や、多くの大手企業とのお付き合い、金融機関との信頼関係などです。
個人の資質やプラスアルファー、またお金を生むという行為だけでは、決して手に入らない社会的なポジションも多いに感じ取れていたからです。
ありがたい事に今でもこの環境を生み出したからこそ、複数の上場企業から役員として来ないかと、お声がけかかったりするものと理解しています。
あ、これらは苦であったという意味で書いているわけではありません。
むしろ楽しんでやっていましたが、現在との違いを対比するために少し詳しく書かせて頂きました。
この基幹となる事業は2015年までには完全にバイアウトしました。
もちろんこれまで作り上げてきた様々な事業もバイアウトや無償譲渡、廃業などと縮小したわけですが、結果として経験と実績と人脈は残るのです。
そして再び組織から個としての資質にシフトした感じでしょうか。
当然理念としては前述の内容と、今も異なってはいないのですが、バイアウト後も実際のところは現在、僕個人がガバナンスをもつ法人が5つもあるにも関わらず、僕自身が直接雇用をしている社員、スタッフは身の回りのサポートしてくれる2名ほど。
その理由はこの5つの法人のうち3つは、何らかのビジネスで得た収益を決済処理するためだけの法人で、雇用の必要が無く、一部発生する業務もアウトソーシングで事足るようになったり、仲間の事業者とシェアする事で事足るに済んだからです。
いわゆるシェアリングとコンソーシアムというか、カルテルのような連合でしょうか。
創業期の代表者はイコール、優秀な営業マンであるわけですが、自身のみの企画営業でビジネスとしてなり立つ環境を手にする事もあり、そこで成立する利益や実務を処理するために法人を組織化してきた訳ですが、それをシェアリングと他の同業者と関係を強化する事で、雇用という経費と人事管理という難易度高いものが無い法人と化したのです。
また資本と経営の関係も自分自身の中で、概念の通りに明確になったのもあります。
アイデアがあり、動ける人間に資本を提供して経営には参画しないという手法です。
僕はまだこのように複数のスモールビジネスには携わってはいるのですが、やりたい人間に資本を付けて代表者として事業を頑張ってもらっています。
一昨年も飲食店1店舗、今年は物販店舗1店舗を開業していますが、僕は資本を提供したのみで、決して役員にも入りませんし、発起人にも名を連ねておりません。
いわゆるこれが資本と経営の関係であり、よっぽどの事がない限り、経営に口も出しません。
当然、赤字でも僕には関係ありませんが、投下した資本の回収は遅くなるだけ、場合によっては無くなるリスクはありますが。
経営に関わる義務は無く、これまでのように給与や支払いを維持する為の頑張りも継続しなくていいのですが、事業が失敗すると投下した資本を失うという側面も十分に理解もしています。
これが資本と経営の関係でしょう。
結果として僕には過去15年くらいには無かった、自由な時間が手に入りました。それもかなり大幅にです。
理念は変らなくても、スタイルが大幅に異なったのが前述の環境を詳しく書いた理由でもありました。
ただ仕事は好きなので、自由になった時間を活用して、現在は外資系上場企業2社の非常勤執行役員に就いていたり、複数の企業の顧問としてお手伝いさせて頂いて、新たな経験を積ませて頂いているところです。
これまた成り行き上の結果ではあるのですが、企業組織という維持、拡張という責務が無くなり、雇用という束縛も無くなり、僕個人の時間にはゆとりが取れ、個人としての所得も大幅に増加し、社会的地位も向上した結果となり、いつの日かには理念と責務など重たい企業通念も必要無くなったのでした。
これもインターネットの普及や、スマホやタブレット化がなし得たことなのかもしれませんね。
15年、20年前には考えられない環境が、今では当たり前にもなりつつありますが、これもまた人それぞれの価値観の違いでもあり、巨大な企業やコングロマリットを目指す人もいるわけで、この多様性が共存できる環境こそ現在なのでしょうね。
紺野昌彦