ビジネス成功の条件

こんにちは紺野昌彦です。

今年は何かとバタバタ続きで昨年よりも多い移動が続いています。もちろん仕事が多忙となっている証ではありますが、これも多くの知人友人の助力があってからの賜物です。

ちなみに僕は自分で言うのもなんですが、割りと器用なのです。

法人登記の定款、登記書類、申請書類などは内容さえ決まっていたら2,3日で自分作ります。当然役員変更増資の手続きなんてもお手のもの。これまでに15社以上自分で登記申請しています。

また会計、文章事務なども当然ですが、お店の内装工事も一通りは自分で出来ます。過去に飲食店、雑貨店、アパレル店舗など10店舗くらい自分で工具揃えて内装もやって来ました。今でも部屋の内装手直しなどはホームセンターに行って材料買って自分でします。

登山も大好きで冬山なども日本アルプスなども幾度となく経緯しています。海も大好きでボンベ背負わずに水深20mくらいは今でもなんなく潜れます。これは余談ですが。

紺野昌彦

↑↑↑↑全員ボンベ背負っているのに僕だけないのがわかるでしょうか?

一定のゆとりこそ出来ましたので、今でこそ登記や内装プロお願いしますが。

さて今現在の僕の環境では、便宜上いくつかの決済用の法人や多少の実業で使用している法人などがいくつかあるだけです。それを基点で活動しています。まあそれでも事務所に通う、決まった場所に出勤するという事は一切無く、いわばフリーランスに近い状況でもあります。

フリーランス。それでも僕自身の関わるビジネスは、ここ3年で有難いことに多くのご縁も頂いて、ビジネスの質も内容も大きくシフトチェンジした感もあり、現在は日本、海外を含めて4つの上場企業で、非常勤の役員や顧問などの仕事も頂いたおり、自分のお金では無いにせよ、数百億円、数千億円の事業の企画や調整に関わることが出来ています。

また数ヵ国の国の行政や外交官事務所からのオファーなどもあります。いわゆるBtoGです。

それでも僕個人の範囲(ガバナンスを持つ法人や個人資産など)は、残念なことにまだまだ大きくはありません。複数の友人の方が数億、数十億、中には百億はゆうに超えてと、格段に上を行っている方々も身の回りに多く、僕自身が「何を偉そうに語るか」と思われてしまうかもしれません。

そんな中で、人よりも多くの案件や、数千億を超えるプロジェクト(タラレバでなくリアルにキャッシュのある案件)などで重要なポジションに招かれたり、毎月のように新たな案件に巡り会える、お声かけ頂けているのは、どのようなメカニズムであって、何をどうなっているかを少しまとめてみようと思いました。

経緯

ここで少しこれまでの経緯に触れて置きたいと思います。紺野昌彦略歴これもお読みください。

かいつまんで言うと、僕はサラリーマンの述べ期間が約8年、9年あったと思います。

それ以外20年自営業(会社経営)この期間中5年くらいがフリーランスでしょうか。

この自営業の期間は順番に大阪が30%、沖縄が30%、海外が40%というウエイトでした。

沖縄でもはじめて事業を展開してから3年ほどで7事業、5年で12事業(店舗数)まで紆余曲折しながら増やすことも出来たのですが、成長速度はまずまずだったと思います。

前述で書いたように複数登記申請や、開業に関係する手続き、内装や備品の調達など知らない間にありとあらゆるこを多く経験したのが大きいかもしれません。

そして海外に大きくシフトしたのですが、この期間で一番飛躍したのは、海外の不動産や投資商品の斡旋や販売、ディベロッパとしての事業でした。海外に展開して3年目で販売高で11億円までにはなり、営業利益こそ15%くらいでしたが、一気に投資家のお客様や、中堅以上の企業に多くのクライアントさんとの繋がりが広がりました。

少しイヤらしい言い方すると、一件数千円、数十万円のビジネスから、ひとつの契約が数百万円、数千万円になったのがターニングポイントのひとつでした。

当然全てが成功という訳ではありません。

強いて言えば一進一退と言った方が正解でしょう。大きく成長したと思えば、大きくつまずくきリセットに至った事も何度かありますが、一番大きいのはそれも含めて経験と人脈形成があったからだと思います。

経験得たこと

まず大きいのは経験で得たことでした。なんでも自分トライすること。

会社登記なんて当然したことすらありません。何度も何度も法務局に付き返されてからのスタートでした。お店の内装でも無いものは、海外からでも取り寄せて、仕入れ関しても高い日本問屋じゃ利益率悪くなるので、やった事もない海外からの貿易も一から自分調べて行きなり始めて来たのが、経験となっています。「わからないから」「やったことない」こんなの全ては当たり前。

まあこれだけ短期間でよくもまあ色んなことやったし、できるようになったなと自分でも思うのですが、最大のポイントは実はここだと思っています。

僕はお酒を呑みませんし、お酒付き合い滅多にしません。

ここなんですよ。

それでも月に2,3度くらいはありましたが二次会には行かないのと、お酒は入っていないので、帰った後にPC仕事があと数時間出来ました。

それが28歳から42、3歳くらいまでの間ずっとでした。ほとんど夕方以降のお付き合いしない。

一定のところまで成長出来た来た今だからこそ、週の半分は会食や夜中まで付き合いしますが、実に働き盛りの15年間くらいは仕事の夜のお付き合いは多くても最大で月に2、3回。しかも夕飯のみ。飲みには一切行きません。もちろんゴルフ等の付き合いの一切しない。この間に海や山など自分の好きな事もせいぜい月に1回行くか行かないか。

当然お酒を呑まないので、プライベートでクラブ踊りに行ったりも全く無し。娯楽もほとんどなしの仕事ジャンキーでした。それで普通だったので苦にも思わない。

仮に週に2回飲みや、夕飯の付き合いがあったとして、1回につき3時間消化していると試算すると、月に24時間、労働時間として3日分は自分の勉強、研究時間に使えるわけで、年間で36日何か勉強出来たのです。もちろん僕の場合はそれ以上の時間を概ね15年間。要するに同じ時間を生きてても、自分の娯楽も、付き合いがなかった分、ひょっとする倍くらいの時間が使えたていたのかもしれません。

なので人の出来ない仕事を色々こなせようになったのです。

なので今でも「紺野くんはお酒飲めたらもっとよかったのにね」「お酒飲めなきゃ仕事損でしょ」とか言われるのがしっくり来ません。

「呑めなかったから色んな仕事が手に付いた」「夜遊び嫌いだから仕事ができる能力を身に付けた」んだよって心の中で思ったりもしています。

ちなみに、そんな人生でよく今のような人脈があるな。とお思いでしょう。はじめに人脈ありきとも書いているとおりに。

この当日から今やっている異業種交流会や懇親会のような50名、100名規模の集まりは実はその当日から毎月定例で行っていました。

要するに週に3,4回人に会って情報交換や交友深める機会を、1度数十人以上集める機会を作り1日消化していたのです。

こんなふうに↓↓↓これは昨年ですが。

紺野昌彦

ちなみにこの昨年の会にも15年くらい前からやっている交流会からお付き合いのある皆さんもいまだにいらっしゃいます。

色んな仕事卒なこなす。一応の仕事の経験があり、それなりのネットワークがある。これがあったので沖縄では中核企業の國場組の國場幸一郎氏(前会長)に色んな仕事を任されるようにもなり、幸一郎氏の持つ会社の役員をやらせて頂いたり、選挙コンサル仕事が多く頂けるようになったり、政治絡みの案件に関わる事が多くなり、県の仕事、内閣府仕事が頂けるようになったという流れなんです。

結果は蟻アリとキリギリスではありませんが、一般的には一番遊びたい盛り、または家庭で足を取られる時期が、全部仕事スキルを詰め込む期間になったのが、今の自分を作りあげたメカニズムなのです。

紺野昌彦

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